第十章『潮時』V |
琴璃のひんやりとした細い腕が、肩が、急激に熱を帯びる。
くちづけながら、茉莉は体の中で熱くなる何かを感じた。それが同情によるものなのか、それとも男の本能によるものなのか、自分では判断できなかったが、琴璃の
昂
りがそうさせたのだということだけは、
理解
った。
琴璃の手のひらは、茉莉の背中で絡みつくようにうごめき、時々、きゅ、とジャケットにしがみつく。
その手が、首筋に戻り、指先に力を込めながら髪をかきあげるようにして、茉莉の頭を包み込む。
茉莉もそれに答えるように左手で琴璃の細い首を更に引き寄せ、舌を
絡
ませた。
茉莉の舌が、塩気を
捉
える。
琴璃は、泣いていた。
「やめないで、お願い、壊して…」
茉莉はそこで少し
躊躇
したが、唇を離すと、琴璃がそう言ってまた、くちづける。
淡いピンクのキャミソールドレスを
纏
った細い腰は、生地の柔らかな感触と、その奥の
華奢
な体の線とのギャップで、琴璃をいっそう
儚
げに演出していた。
背中に指を這わせ、ファスナーを探すが、見つからない。
静かに、琴璃がその手を肩紐へと導く。
あらわになった白く、豊かな胸に触れた瞬間、茉莉の頭の中は真っ白になった。
抗
えない本能に、支配された瞬間。
…里菜、ゴメン…
そんな感覚が頭をよぎったのも、束の間であった。
茉莉は琴璃の服をするりと脱がし、自分も荒々しく上着を脱ぎ捨て、
裸の琴璃を抱きかかえベッドへと向かった。
「あ…んっ…」
琴璃の、甘やかな声に操られるように、茉莉は
愛撫
し続ける。
その動作に、敏感に反応する
肢体
は熱く、汗ばんでいる。
琴璃の体は完璧だった。なめらかで、まるで極上のシルクのような、くすみや、しみなどとはまったく無縁であろう肌。大きく、張りのある形の良い乳房と、細い腰から脚への曲線が、
優雅
であった。
7桁…
茉莉は店での会話をふと思い出し、不謹慎にもつい、納得してしまっていた。
長く、
隙
のない愛撫に、琴璃は乱れていた。
敦司への想いを断ち切ろうと、わざと自分を駆り立てているかのようにも、見えた。
少しぐったりしている琴璃の上で茉莉は服を脱ぎ、琴璃を抱き寄せ、その中に忍び込む。
「んっ…」
茉莉が、奥まで
辿
り着くと、琴璃の体は大きく
仰
け反った。が、それは快感からではなかった。その腕は、
拒
むように茉莉の胸を押し返していた。
「…痛かっ、た?」
琴璃は、小さく震えていた。
「違うの…ご…めんなさい、私…」
膝を立てて小さく丸まり両手で顔を
塞
ぐ琴璃の隣に、
仰向
けに横たわり、茉莉は、正直ほっとしていた。
拒まれる直前に、茉莉もまた、最後の行為に対して、
躊躇
していたのだ。
琴璃の中に納まったその瞬間に感じた、なんとも表現し
難
い感覚。
あれはなんだったのだろうと、考えていた。
男としては、
勿論
のことであるが、その感覚は快楽に他ならなかった。
しかし、その快楽ゆえに、不快であったのだ。
相手は自分を求めている。
が、それは
痛絶
な悲しみから逃れるためであって、決して愛情や、ましてや快楽を
貪
りたいからではないのだということは理解っていた。
しかし抱くことで、琴璃の悲しみを少しでも軽くできたら、と思ったからこそ、抱いたのである。
けれども琴璃を抱いても、抱かぬとも、結局彼女を悲しませるのだということに、気付いてしまったのである。
即
ち男として感じてしまったその快感は、全く不必要で不謹慎
極
まりないものでしか、なかったのだ。
もしあのまま拒まれず続行していたら、茉莉のほうからは止めよう、とは言えない状態であるだけに、いわゆる、イク、という、この場合に
於
いて最悪のカタチで終わらせなければならなかったのだから、茉莉の
安堵
は想像に
易
い。
しかし安堵の先には山積みの問題があることを、すぐに思い出した。
…俺…間違ってたのかな…
敦司への罪悪感、里菜への罪悪感、その上それを振り切って抱きしめた琴璃すら、救えなかったという無力さまで、茉莉の胸に重くのしかかってきていた。
「私、勝手よね。茉莉くんのこと、里菜ちゃんのこと、考えてなかった。」
膝を曲げたままベッドの背にもたれ、遠い目をした琴璃が、ブランケットを口元まで
被
って、
呟
いた。
「…」
「自分が、楽になりたくて強引に誘っておいて、やっぱり止めて、なんて。ほんと都合良すぎるわよね。」
「そんなこと…仕方なかったんだと…思いますから…」
茉莉は、自分にも言い聞かせるように、琴璃を
慰
めた。
「…店、戻ります。あの、服、持ってきますね。」
「ううん、いいわ。このままいさせて…見送れないけど、ありがと、ね。」
「はい…じゃ…」
茉莉は床に散らかった自分の服を手に取り、ソファの方へ戻ると、いそいそと身支度を整えて、足早に部屋を後にした。
マンションの下に着くと、そこにあるはずのものが姿を消していた。
かなりの時間が経過していたため、然るべき
措置
がとられた模様である。
レッカー移動だ。
愛車のハンドルを握って帰れないという事態で、一気に、疲れが押し寄せた。
タクシーの通る大通りまでの足取りは、重かった。
敦司と顔を合わせることが、里菜の待つ部屋に帰ることが、気が引けてならない。
そして乗り込んだタクシーはというと、全く、
厄日
の極みであった。
煙草の、
尋常
ではない臭い、そのうえ
酷
い
腋臭
、しかも客である茉莉に構いなく、演歌にあわせて熱く歌い上げているのである。
しかもサビ以外の部分では、自分の長いタクシー人生がいかなるものであったか、と、聞きたくもない武勇伝を散々聞かされた。更に、茉莉をホストと見てか、女と寝て金が貰える仕事で
羨
ましい、などとのたまった。
乗り換える気力はおろか、怒る余力すら残っていなかった茉莉は、途中、工事の渋滞に
遭
い、結局30分強もの間それに付き合わされ、
完膚
なきまでに打ちのめされた。
やっとの思いでクラブノアールに戻ると敦司は外出中だった。
ほっと胸を撫で下ろしトレゾアに戻ると、アイドル椿茉莉を一目見ようと新規の指名客が3組待っていた。しかし、接客できる自信がなかったので、ドンペリを各卓に自腹でふるまって丁寧に
侘
びをし、席には着かずに帰ることにした。
「せっかく来てくれたのにごめんね、シャンパン、よかったら飲んでいって、
奢
りだから。ね。」
「えー、いいんですかぁ、すっごーい。やっぱり茉莉さんって、優しいんですねっ。」
「また遊びにおいで。安くしたげるから」
アイドルスマイルをかろうじて保ち、ガラス張りのウェイティングバーまで戻ると、ふう、と
溜息
をついた。
やはり里菜と顔を合わせ辛かったので、この日はホテルに部屋を取ることにした。
「誰か車を店前まで…いや、いい。」
新人に駐車場まで車をとりに行かせる
癖
でつい、声をかけてしまったことで、立ち直れない自分を確信して、茉莉は肩を落として店を出た。
第十章 Wに続く
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