第十二章『危機』T |
のどかな昼下がり、茉莉宅のリビングの床に、底の抜けたアクリルの箱とその
欠片
とミニ蛍光灯の破片、そして携帯電話が散らばっている。
あまりの予想外な出来事に、散らばらせた本人である里菜は
呆然
とその現場を
眺
めていた。
事の
発端
は、「箱」であった。
底辺
がA4程のサイズで、横
配列
に三段の
高低差
がついている。
雛壇型
、というのだろうか。一段ずつが深さ4、5cm程度のコレクションケースだ。
上部は無色透明なアクリル板、下部は半透明の白いアクリル板で出来ていて、その中から
仄
かにライトアップされる仕組み。
トレゾアの階段に少し似ている。今朝、茉莉が帰宅時に持ち帰ってきた物だが、里菜がこれを
甚
く気に入り、趣味の自作ネイルチップを飾ることになった。
箱はとても
美麗
であったが、見た目より、少しばかり重たかった。
しかし多少重量があるのは蛍光灯が入っているからだと、なんら疑問を持たなかった。
配置の途中、床に落として壊してしまうまでは。
里菜が呆然とした理由は、落として壊してしまったことに対してではなく、箱が携帯電話を産んだことであった。
よく見ると携帯電話だと思ったそれは、蛍光灯の台と配線されていて、電話ではないようだった。
液晶画面のように見えた面は細かい
金網
に
覆
われていた。
見たことのない代物ではあったが、里菜は本能的に血の気が引く感覚を覚えた。それが何であるかということを直感したのだ。マイクである。つまり、携帯電話を改造して
造
られた
盗聴機
であった。
茉莉の部屋が、盗聴されかけたのである。
「ま、茉莉ぃぃ!」
パニックの里菜は
破壊音
にも気付かずすやすやと眠る茉莉を起こすべく寝室に
駆
け込んだ。
揺
すり
叩
かれ起こされた茉莉はどうしたの、と里菜を
仰
いだ。
「きて、きてよぅ、まじヤバだよ、早くっ」
里菜は茉莉の腕を強く引きながら、リビングへと向かい、あれ、と指差し現場に近づいた。
「は?あらら、どうしたの、さっそく壊しちゃったの?残念だったけど、そんなことで起こ…」
里菜がぶんぶんと頭を横に振り、
呆
れ顔の茉莉を
睨
んだ。
「ちがぁう、違うよ、そゆことじゃなくって」
「ん?なに?」
「これっ」
茉莉は、里菜の拾い上げたものを見てきょとんとしていたが、里菜の言わんとすることを
直
ぐに理解した。
「って、コレ盗聴器だよね、動いてんの?」
盗聴されていては、と、ごく小声で茉莉が
訊
いた。
茉莉に事態を理解して
貰
えたことで少々落ち着きをとり戻した里菜が答える。
「んー、多分コンセント
繋
いで、ライトアップされたらオンなんじゃないかなぁ。」
「
詳
しいね?」
「わかんないけど、なんとなくそう思っただけ。盗聴器って
常時
電源入れてるモンにくっついてるじゃん?でも落とした
拍子
に
充電器
もとれちゃってるし、今は平気じゃん?」
「とすると帰ってきたときとかの会話は聞かれちゃってるかもってこと?マズいね」
「んー」
そもそもこれは、最近よく店に来る女性客からの
戴
き物だった。そのほかのファンのような客ではなく、最近の茉莉客としては珍しいタイプの、茉莉に気があるような感がある客だったが、まさかこんな
根暗
な行動を起こすとは思ってもみなかった。
茉莉にとってプレゼントなどはごく日常のことで、いままで一度たりともこんな事態は起こっていなかった。身の回りでも、聞いたこともなかった。むしろ
尾行
されたとか
刺
された、のほうがまだ
現実味
がある。盗聴など、考えてもいなかった。
「とりあえず敦司さんに相談しようか、ね、里菜」
「ん」
里菜はこくり、と
頷
き、茉莉の腰に巻きついて背中に
頬
をよせた。聞かれたかもしれない、という茉莉の言葉に、
動揺
していた。ホスト茉莉にとって二人の関係はトップシークレットだ。それを知られるときがこんなカタチでやって来るなど、あってはいけないのに、と。
日中という時間帯のせいもあってか、敦司とは連絡が取れなかった。里菜は更に不安に
襲
われた。茉莉は静かに里菜の髪を
撫
で続けた。
波乱
の
幕開
けであった。
「とりあえず、サイト
監視
しなきゃね」
「え?サイトって、オンスタのこと?」
里菜が、携帯電話をいじる茉莉に、
訊
いた。
「違う、ホスラブ。ばれてたら、
晒
されちゃうとマズいからね、知ってるでしょ、ホスラブ。」
「は、じめて見たぁ…」
里菜は知らん振りをしたつもりだったが、歯切れの悪さに茉莉がくす、っと
微笑
った。
「いいよ、
理解
ってるから。」
「う…」
「
記憶
えてるよ、俺。里菜、俺が新人の頃
叩
かれてた時、知ってて追求してこなかったんでしょ。後でなんとなく気付いて、俺
嬉
しかったんだ。里菜いいこ、いいこ。」
里菜は頭を抱き
寄
せ撫でられ、心地よさと当時の事を思い出して少し胸が熱くなった。
爆弾サイトの存在というものを今となっては、里菜が気を
遣
って隠していたほどには、さほど気に
病
んでいない様子の茉莉であった。
慣
れた手つきでサイト内をチェックして回っていた。
敦司と連絡が取れないうちは、盗聴器を仕掛けられた事実を外部の人間に相談するわけにもいかず、二人にはそんなことくらいしか出来ることがなかった。
「あ」
茉莉は見ていた携帯の画面が着信に変わり、それが敦司からだと知ってあわててそれを耳に当てた。
「悪いな、ちょっと店で歌舞伎町NOAHの滝乃 翔太朗と話してたから出らんなかった。どうした?」
「それが…」
茉莉は敦司にいきさつを話し、歌舞伎町で落ち合うことにした。
「敦司さん、あれ、そちらは?」
茉莉は、敦司の横にいる
馴染
みのない人物に
会釈
した。
「あぁ、さっき話してたって言った翔太朗。実はコイツと、コイツの知り合いの店のヤツも最近やられたって、で、その話してたトコにお前の話だろ、だから連れてきた。
偶然
にしちゃ気持ち悪りぃだろ。」
「そうなんですか!?」
あまりの偶然に里菜と茉莉の声が、ハモった。
里菜が一緒なので
周
りの目を考え、トレゾアやノアールに入るのは
避
けた。が、
夕刻
前の歌舞伎町は個室で落ち着ける店がまだ開いておらず、一行は敦司の部屋に行くことになった。
敦司の部屋は自分の独立店をノアール-黒-と名付けるだけあって全体にダークである。ピアノ
塗装
のツヤの良い
揃
いの家具がその暗さの中で更に暗く、重たく
控
え、
滑
らかな曲線だけを光り浮かび上がらせている。
茉莉は新人時代この部屋が
憧
れであり、目標でもあった。なにしろガラス張りの
廊下
から
自室
専用のガレージが見えるのだ。三台分のスペースに置かれた高級外車が数ヶ月単位で入れ
替
わり、かつて自分がいたショールームのような風景がそこにあるのである。
モデルカーをディスプレイするかのごとく、実走可能な本物のそれが並ぶさまは、右も左もわからずホストの世界に飛び込んだ茉莉にとって、馬ニンジン並みの
疾走力
を
芽生
えさせるに十分すぎるほど
鮮烈
だった。
久々に訪れた部屋は、少し
懐
かしかったが、そういう熱い思いはもうこみ上げてはこなかった。今の自分に満足している
証拠
なのだろう、そう感じて茉莉は少し
神妙
な顔つきになってソファにもたれ
掛
かりそうになった背筋をぴりりと伸ばした。
「どうしたの?」
里菜が
隣
で急に
堅張
った茉莉に訊いた。
「や、ちょっと初心を思い出したの。」
茉莉が、苦笑いして
緊張
を
解
いた。
「びっくりしたぁ」
コーヒーをテーブルに並べ
腰掛
けるとすぐに敦司は、見せてよ、と身を乗り出してきた。里菜が盗聴器を
鞄
から取り出す。
「同じだ…」
翔太朗がやっぱり、というような、それでいて違ってほしかったという感のため息のような
感嘆
を
洩
らした。
「一体どうなってるんだよ、まったく。」
敦司が
舌打
ちし、
煙草
をテーブルにトットッと打ちつける音だけが沈黙の中に
響
くばかりであった。
第十二章 Uに続く
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