第十二章『危機』V |
「削除依頼出さなきゃ」
両膝
に
肘
をついて肩を落とし、茉莉がまた、画面操作を始めた。
「おめぇ、だから500万どまりなんだよ、ちいせぇなぁ。」
敦司がくっ、と皮肉に
嘲笑
った。茉莉は焦って手を止め、敦司を見上げた。
「そんなこといっても、これはヒド過ぎですよ、」
茉莉は半ば
懇願
するような眼つきで、言った。
「結局ホントかどうかなんて、盗聴したやつが録音の公開でもしねぇかぎり、そいつの妄想ってことでカタがつくんだよ。ほっとけよ。女なんて自分の都合のいいようにしか頭働かねぇんだからよ。」
「でも、」
「おめぇに、全部ウソだ、って言ってほしい女は今夜店に押しかけてくるだろうさ、そいつらだけフォローしてやればサイトなんかそいつらの話題操作でなんとでもなんだよ。」
「はぁ、」
「だいたい客なんて鳥とか魚みてぇにそん時一番暖ったけぇトコに群がってよ、ちょっと環境が変わって居心地悪くなりゃすぐ別の餌場にいくんだよ、歌舞伎町にはそういう
魚群
みてぇな女達がウヨウヨ居んの、ひとつの群れが別に行きゃ、また他の群れが来んだよ、悪評に興味津々で群がる奴らなんか、ゴマンと居るぜ。」
異常なほどに
捲
し立てる敦司の脳裏には、客、女、そのフレーズの度に何も言わずに自分のもとから去っていった琴璃が浮かび上がっていた。もちろんそのことを察していたのは里菜だけであったが、茉莉も、翔太朗もその気迫に
圧
され、黙り込んでいた。
里菜は、冷静に、冷静に、と心で自らに言い聞かせ、自分はどうするべきかと考えていた。もともと客であった身だからこその面倒であった。誰も知らない女なら、それはそれで面倒であったに違いはないが、隠し通せばサイトでの話題は徐々にフェードアウトしてゆくだろう、だが里菜は基本的に店で楽しみたい客であったので、酔って大騒ぎではしゃいでは、シャンパンコールのマイクを自ら取り仕切るような、しいて言えば悪目立ちしていた客なのだ。
もちろん色をかけられていたとも、本カノだから目立たないようにしていようなどという妙な計算も、なかった。
つまり古い客ならば、皆が里菜の存在を知っているのである。それが
厄介
であった。
「あたし、またばーんって、お金使おっか?」
「どういうこと?」
里菜の
突飛
な発言に、翔太朗がアーモンド型の瞳できょとんと首をかしげた。
「お客ってさ、あたしもそうだったけど、お金使ってる娘には、何も言えないってゆうかさ」
里菜がゆっくりと、いつもより低い声で、語り始めた。
「あたしがエースってなればさ、同棲してるとかは、あたしがアピりたくって自作したんだとかさ、そうゆう風に思うと思う。あたしのこと、
憐
れんだりする娘もいると思うし、あんだけ金使ってたら茉莉も切れないよねとかって納得する娘もいると思う。」
「いいよ、そんなことしなくて。」
茉莉がふてくされたように口を挟んだ。
「でもそうしなきゃ茉莉が」
「コイツの問題だ、テメェの女にケツモチさせるわけにいかねぇよな、茉莉?」
里菜が反論するのを
遮
って、敦司がそう、訊いた。
「はい。自分で解決します。」
茉莉は小さい、と言われたことに少々
憤慨
した様子で、ムキになっているようだった。
「二人の問題でもあるもん!敦司さんはなんでもそうやって自分ひとりで解決しちゃうから、琴璃さんだって不安になって…あ」
指輪あげる前にいなくなっちゃったんじゃん、と言いかけで留めたものの、カッとなった里菜は思わず琴璃の名をあげて敦司を非難した。子供っぽい
癇癪
に恥ずかしさを覚え、立ち上がってその場から逃げ出した。
「先、帰るね、」
玄関に向かった足音が扉の開閉の音を残して消えたあと、リビングに重い空気だけが
蟠
っていた。
「いいの?追わなくて」
翔太朗が茉莉に訊いた。茉莉は里菜が自分と琴璃が寝たことを暴露するつもりだったと勘違いしていたせいで、言葉が出なかった。寝室で指輪を見つけたことでモヤモヤした里菜の心の内など、知る
由
もなかったのだから仕方ないのだが。
一方の敦司もまた、傷を
抉
られたダメージで、黙り込んでいた。琴璃という、自分の知らないそのキーワードに、この空気の原因があると悟った翔太朗は、里菜の様子を見てくる、という口実でその場から離れることにした。
翔太朗が玄関からでると、四角い空を
臨
む中庭に里菜はいた。
中庭の一辺の壁面は薄い白大理石を凹凸に重ねた造りになっていて、やや天井が高めの三階建てマンションの屋上にある人工池からあふれる水を流し落としている。滝と呼ぶには物静かだが、暗がりでスポットライトを浴び
煌
く壁一面の白色と水流はなかなか、白滝のような
荘厳
さを持っていた。
その壁の真向かいに置かれた鉄製のベンチにぽつんと座り、その水の流れを見ているような、見ていないような里菜に、やっぱり帰ってなかったね、と翔太朗が声を掛けた。
「…翔太朗さん」
里菜はすこしほっとした。来たのが当の本人だったら、また気まずくなると思っていたからだ。本当は茉莉が来ると思っていたので、少々腹が立った。里菜もまた、茉莉が琴璃の名に焦ったなどとは思っていなかったからなのだが。
初めて会ったのに、里菜は翔太朗と居るのが心地よかった。特に敦司や茉莉の話題に触れるでもなく、他愛ない会話で和ませてくれるからだった。
「翔太朗さんて、凄っごくホストですよねえ、敦司さんとは違うタイプだけど、プロって感じがするもん。」
「そう?ありがとね、でも結構普通だよ」
「だって、女っ気ないよ、恋愛映画とかもお客さんと観てそう、タイタニックとかさ」
「待ってよ、彼女とだし、そんな昔からホストじゃないし」
翔太朗が笑った。
「あれはねぇ、思い出深い映画だよ、はじめて同棲した人と観たんだ。」
「へぇー、ちょっとくすぐったい」
翔太朗が照れ隠しに微笑うのを見て、里菜もつられて照れ笑いした。
「特に船が沈没しはじめて、演奏家たちも焦りだすんだけど、そのあとに死を覚悟して最後まで演奏するんだ。そこと、あと最後ローズが名前を
尋
ねられてジャックの名字を語るところ。そこが泣けてね。」
「あ!おんなじ!演奏家のとこと、あたしは最後のおばあちゃんの夢の中で、ジャックが階段の上で
迎
えてくれるとこ!何回観ても泣いちゃうの、でも茉莉と敦司さんはジャックが沈んでくとこって。ローズが助けに行かないのが女は冷たいって。違くないですか?さっきの話だけど、敦司さんね、」
里菜が熱くなり始めたのを察知して、翔太朗が訊いた。
「それ、聞いちゃってもいいのかな」
里菜は少し黙ったが、続けた。敦司の裏の太客で、琴璃という女性がいたこと、その女性が敦司をとても愛していたこと、そして約束のない関係に疲れて消えたこと、里菜は捜そうとしない敦司に気持ちがないと思っていたこと、でも今日、ダイヤモンドの指輪を見つけてしまったこと…
「難しいね、そういえば、ウチの店にも最近来なくなった子がいるよ、綺麗な子だったから、きっといい恋愛見つけたんじゃないかな。でも男って、」
里菜、と耳慣れた声に呼ばれた。茉莉だった。会話がそこで途切れて終わってしまったので、里菜は貴重なオトコの意見を聞きそびれてしまった。
「里菜、一旦帰ろう、翔太朗さん、敦司さんがもうちょっと話したいって」
「わかった、こんな変なかたちだったけど、知り合えてよかったよ、こんどは飲みたいね」
「あ、はい、ぜひ!」
そんな挨拶を交わして、解散となった。帰路、ヤキモチからか茉莉が翔太朗について色々と聞いてきたが、里菜は盗聴のことと、指輪のこと、二つがちっとも解決しないのが、もどかしく、苛立ったままで終始無言であった。
第十二章 Wに続く
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