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第十三章『選択』U |
茉莉がトレゾアに着くと、一人の新人ホストが駆け寄ってきた。
「茉莉さん、おはようございます。」
そして、車のキーを受け取ると、足早にエレベーターホールへと走っていった。
茉莉の車を車庫まで運転するためである。
新人のなかで、茉莉の車をこうして預かることが出来る者は、ごく限られている。
基準は、売り上げではない。
むしろ、こういった事はどちらかというと「雑用」に入るので、ホストとしての頭角を顕し始めているような有望な新人には、任せない。
では、どういった基準なのか。
単純である。茉莉を、慕っているかどうか、それだけである。
たいていのホストクラブは、皆が皆、客を掴んで売り上げる、そういう気持ちで取り組むものである。
しかしトレゾアはテーブル数が約110卓、ホスト数は常時150名以上、在籍200名超という大箱のため、誰かの指名客を飽きさせない為の、ヘルプ専門という仕事がある。
そしてそのヘルプ専門のなかでも、特別な人材がいる。
売り上げの高いホストは卓が重なる機会が多いので、専属ヘルプを持つことが許されているのだ。
トレゾアではこういった専属ヘルプを幹部補佐と呼んでいる。
茉莉には5名の補佐がついていた。
車を動かしに出て行ったのは、そのひとりである。
トレゾアのホストは、入店して3〜4ヶ月ほどで進路が決まる。
つまり、「売り上げ」か「ヘルプ」かである。
このシステムは元をただせば「派閥」である。
だがトレゾアのそれは、派閥、という言葉に感じられるような陰湿さはない。
他を蹴落としたり、勢力を拡大することが目的にないからである。
専属のヘルプに必要なのは、軸となるホストの顧客の趣味や飲み方の傾向を把握し、楽しませる事、そして、そのホストの身の回りのサポートをする事ができるスキルである。
補佐をする者はたいてい希望者であった。
先ほどの一人もそうである。茉莉の補佐希望者はあとを絶たない。
多くの後輩から慕われるのは喜ばしい。
だが何人も、というわけにもゆかないのだ。
ホスト個人各々が補佐を選ぶのだが、選んだ人数分、給与を自分の稼ぎからだしてやらねばならないからである。
補佐単体では一円も売り上げがないのだから、店は給与を支払う必要がない、なるほどそういう道理である。
そして補佐に車を任せた茉莉は、店を出てエレベーターで上の階へと向かった。
更衣室のドアの前にたち、ノックをしようとしたそのとき、手に持っていた携帯電話がブルブルと震え、着信を知らせた。
敦司からであった。
茉莉は慌てて応答した。
「もしもし!」
「俺だ。今まわりに誰かいるか」
「店の更衣室に入ろうとしたところですけど」
「なら、ちょっと離れてくれ。他に聞かれたくない話だ。」
「は、はい、今。」
会話をしながらエレベーターホールに戻り、非常階段を使って屋上へと向かう茉莉の心臓は、再びヘビメタドラム状態になっていた。
聞かれたくない話、イコール殺人、と脳内で言葉と言葉が勝手に結びついてしまっているからである。
「いいか、よく聞いてくれ。」
そんな前フリをされて、ヘビメタがさらにトランスアレンジされたような高速心拍で、茉莉は耳が遠くなるような感覚に陥りながら、敦司の声を聞いていた。
「俺は今、病院にいる。智香が…琴璃が重体なんだ。」
「…琴璃さんが?」
「ああ、そうだ。俺の客に刺された。盗聴もそいつだ。それでな」
「敦司さんが殺ったんじゃないんですか?…よかっ、あ…」
「誰だ、そんなデマ流してるやつは。どこで聞いたんだ?あ?」
思わずこぼれた不謹慎な発言より、やや手前の部分に反応して敦司が声を荒げた。
「すみません、実は客から電話で聞きました。警察で敦司さん見た、って。」
「…壁に耳あり、か。仕方ねぇな。」
仕方ねぇな、と敦司は沈んだ声で、呟くように言った。
「それでな、俺、しばらく店に出れねぇから、ノアール頼みてぇんだ。社長には話しとくから。」
「は、い…」
「なに、別に普段どおりしててくれりゃいいんだよ、金とか云々は内勤がやるんだし。なっ」
「はい、あの、琴璃さんの容態って…」
「ん、そうだな、今日、明日ってもんでもねぇから、今夜の営業終わったらでも来いよ、里菜と」
「はい。そうします。」
「じゃな」
「はい」
いつもの自信に満ちたトーンとは少し違う敦司の声が、茉莉の耳にしん、と静かに残っていた。
茉莉は、そのまま階段でエントランスのある階まで降りてから、エレベーターに乗り込み、すこし賑わい始めたトレゾアを後にした。
盗聴の件も、敦司の殺人疑惑も、爆弾サイトが気になった。が、敦司に小さい、と言われたこともあって、見るのをやめた。
ただ、なぜ敦司さんの客が、自分を盗聴したのかがわからなかった。
今夜は宥めなければいけない客が何組も来ることになっている、トレゾアとノアールを何度も往復することになるだろうな、などと考えている間に、1階に着いた。
扉が開くと、そこに車を預けた補佐が立っていた。
「あれ、お出かけですか?車、出してきます」
その慌てる様子が、まだ初々しい。茉莉は、ちょうどいい、とそのホストもノアールに連れて行くことにした。
「芹、一緒に行こうか」
「はい!」
補佐は、せり、と呼ばれ、行き先も聞かずに目を輝かせて返事をした。
「茉莉さん、どこへ行くんですか」
「ノアールだよ、敦司さんの」
「はは、行ってみたいと思ってたんです、ラッキーです!敦司さんともちゃんと会ったことないですし」
「綺麗だよ、トレゾアみたいな大箱じゃないけど、それでも個人出資の店の中じゃ、大きい方だね。」
「そうなんですかぁ。茉莉さんは、出さないんですか、お店。」
「うーん、実はあんまり考えたことないんだよね。俺トレゾアが気に入ってるし、あんなでかくて贅沢な店、自分じゃ金いくらあっても足りないしね。」
「え、出しましょうよ、やっぱり代表にならないと、ホストで成功したら次は店持つっていうのが。」
「あはは」
茉莉は笑って誤魔化した。どうも経営者、というものにあまり魅力を感じないのだ。
階層意識は高いのだが、今の生活ほどで十分幸せだからである。おそらくそれは売り上げという数字であったり、こうして慕ってくる人材がいること、里菜という恋人がいること、そのことで自分がいる場所に自信を持てているからであろう。
「あれ、茉莉?ひさしぶりじゃん」
聞き覚えのある声に振り返ると京都フレンチキスの梅谷アニキがこちらを向いて立っていた。
「お久しぶりです」
「どこ行くの?」
「ノアールです。敦司さんの。梅谷アニキはどちらへ」
「お客さん迎えにね。ちょっとデートしてくるよ」
「あはは、いってらっしゃい、」
ほんの1分にも満たない短い会話でその場を後にした。
梅谷さんは楽しそうだった。良い客なのだろう。
良い客というのは、支払いが良い客、容姿が良い客、会話が楽しい客、など様々だ。
そんな客を頭に思い浮かべると決まって里菜が出てくる。
そして琴璃…
一体なにが起きているんだろう、茉莉の睡眠不足の頭ではよけいに整理がつかない。
「俺、茉莉さんが店やるなら、ぜったいついて行きますからね」
「え、ああ、ありがとう、がんばってみるよ。あ、そういえば今日は敦司さんいないからね」
「え?なんだ、残念です…」
朗らかな芹が笑顔で語った。茉莉はほんの少し、落ち着きを取り戻せたような気がした。
第十三章 Vに続く
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