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最終章 |
「俺、ホストやめる。ノアールは、お前がやれ。いや、やってくれ、頼む。」
「え!?」
茉莉は耳を疑った。
だが敦司はそのまま話し続けた。
「何年も何年も、自由気ままにやってきた。結果がこのザマだ。もう、いい車なんか乗っててもしゃーねーし、いい服着よーがいいメシ食おーが、意味ねぇし。金なんか糞食らえだ。」
「敦司さん…」
「俺がやってきた事なんざ、世の中のクズがイキがって高けぇトコで夢見たくてっつー、ただのエゴでしかねぇ。」
「…」
「だがな、確かにそーじゃねー時もあんだよ。客に、ありがと、ってよ、言われた事だってあんだぜ。」
「はい…」
「ホストってよ、別に詐欺師じゃねぇだろ。でもよ、いつの間にか始まった恋愛の延長線上に店がある、そんでガクが高けぇから、男も女も狂っちまうんだろうな」
敦司は肩を震わせながら、なおも続けた。
「酒飲む相手して、ありがとなんて言われたの、いつが最後だ?俺は、いつから間違った?」
「敦司さんは、」
間違ってなんかいません、と茉莉が言いかけたその時、視界の隅でエレベーターが開いて慌しく数人の看護婦と医師らしき男がこちらへ走ってきた。
一団はあっという間に二人の目の前を通り過ぎ、二人が出てきた部屋へと駆け込んでいった。
茉莉はその光景を目の前にして、一瞬身動きがとれなかったが、敦司がそれを追いかけるように立ち上がったのにつられ、二人も医師たちの後に続いた。
琴璃さん、まさか…
茉莉の頭の中に、悪い想像が膨らんだ。
「智香!ともかっ、わかる!?お母さんだよっ」
「智香、ああ智香」
二人が部屋に入ると、琴璃の両親がしきりに彼女の名を呼んでいた。
意識が、戻ったのだ。
医師たちはその連絡を受けて確認に来たようだった。
しかし、両親の喜びとは裏腹に、医師の表情には翳りが窺える。
「智香…」
そう呟いてベッドに近寄ろうとした敦司に、父親の罵声が飛んだ。
「お前のせいで智香がこんな目に」
「…いいの…」
「智香…」
それを、意識を取り戻したばかりの琴璃が止めた。
そして酸素マスクを外してほしい、敦司を枕元まで呼んでほしいと、父親に哀願した。
父親はしぶしぶと敦司を呼び寄せたので、そのまま茉莉もついて行った。
声の弱い琴璃の顔の側まで敦司が近づくと、琴璃は安堵したように笑みを浮かべ、ごめんね、迷惑かけて、とか細い声で言った。
「なんで謝んだよ、心配したんだぜ、ホント良かった。」
「わたし、、、すごく楽しかったよ、人を好きになるって、生きてる実感があって、楽しかった。」
「あは、は、そうか、そりゃ良かったな、なぁ、まだ終わってねぇぜ、これからもずっとだろ。」
「ううん。わたし、もう行くね。」
琴璃は力なく、だがきっぱりとした口調で言い、お父さん、お母さん、と続けた。
「彼を責めないでね、どうかお願い。お父さんたちの反対を押し切って東京に出た、世間知らずの娘が悪いのよ。親不幸でごめんなさい」
「智香、何言ってるの、もういいからマスクをして…」
母親が涙を堪えて制止したが、琴璃は話すのを止めようとはしなかった。
「ねえ、ノアール、素敵なお店よね。わたしはもう応援してあげられないけど、いつまでも素敵なあなたでいてね、」
「何言ってんだよ、店なんかもういいんだよ、俺、マジメに昼の仕事やっから」
「だめ、だめよ、あなたはそのままのあなたでいて、お願い。茉莉君、いろいろありがとう。彼を、、、よろしくね。里菜ちゃんにも、よろしくね。」
「…もう、何も言うな…」
もう殆ど音声にならない琴璃の弱い声に、受け入れ難い、がしかし絶対に回避できない最期を知って、敦司が琴璃の手を握り、言葉を止めた。
父親も母親も、敦司を振り払うことはしなかった。ただ、娘の最期を見守るしかなかった。
茉莉は、声を掛けられても、大きく頷くのが精一杯でなにも返せなかった。
若い看護婦は口を両手で塞ぎ、涙を堪えていた。
医師は、知っていたという風に、目を、閉じていた。
「あなたに会えて、ほんとうによか…った……りがとう…」
「ともかぁぁぁ」
琴璃の最期の言葉は、遂に微弱な空気の振動となって、ピーという器械音と、母親の泣き叫ぶ声に溶けて、消えた。
父親は唇を噛み締めて、医師を仰いだ。医師は、形式的な動きで琴璃の生体反応が消えた事をを確かめ、おそらくこの瞬間のために一分一秒の狂いもないように調整してあるのであろう腕時計をしっかりと見つめ、琴璃の生きた時間の終わりを告げた。
母親の嗚咽が響く病室。父親が、堪えきれず拳を敦司に振るった。 敦司は、一歩も動くことなく、頬を差し出した。
「出てってくれ、責めないと約束したんだ。けどアンタ見てたら我慢できなくなる。」
振りかざした拳を寸での所で止めた父親の声は震えていた。
敦司と茉莉が病室を出ると、扉の前に里菜が立っていた。
「まつりぃ…」
「うん、…」
目が合うと茉莉は小さく頷き、声を殺して泣きだした里菜をそっと抱き寄せた。
敦司は足を止めず、その場から去るように歩いていった。こちら側の人間、がここにいては、両親を悲しませるだけだからである。二人は敦司の後を追った。
琴璃が逝ってから幾月かが経った。
敦司は、ノアールに立っていた。
一時は休業していたが、琴璃の最期の言葉を胸に、再起したのだった。
恋愛ゲームはしない、と決めて、左手の薬指には二つだった物をひとつに作り直したリングを、はめている。
一時関係のあった美香は時々ノアールに顔をだすようになった。敦司との関係に終止符を打ち、今は客だったサラリーマンと結婚して1児の母である。
最近だが偶然、敦司の店と知らずに法子が初回でやってきたこともあった。茉莉の元恋人である。 茉莉と別れ付き合っていたホストとも別れたようで、今はどうやら他のホストとつきあっているようだ。かなり金がかかる相手らしく、慣れない風俗勤めで溜まったストレスを発散するために飲みに来たのだった。敦司が後から席に着くと、相当焦ったが、酔った勢いでそのまま飲んで帰った。多分もう来る事はないだろう。
茉莉と里菜の件であれから姿を見せなかったが、最近自分で風俗店を開店した紗絵が、飲みに来るようになった。相変わらずのホスト好きなようで、大判振る舞いはそうそうせず、いろいろな店に顔を出しているようだ。
茉莉はトレゾアで敦司の居ないはじめてのバースデーイベントを迎えていた。
祝事を開くのは不本意だったが、マスコミや客たちに、普段どおりの状態を見せなければならなかった。
結果、相変わらずの楽しい色恋営業で人気の煌に大差をつけてのナンバーワン。しかし、シャンパンの数だけの作り笑顔が、耐え難かった。
芹がヘルプの先頭に立って、終始笑顔で盛り上げていてくれたおかげで、なんとか笑っていられた。
今年は、里菜は現れなかった。 里菜も祝事をする気にはなれなかったし、茉莉と同席して、しょんぼりした空気になっても周りが戸惑うだけと、里菜なりの気遣いからだった。
里菜は悲しさを紛らわすためにネイルに打ち込んだ。琴璃にサロンをオープンしたらいいのに、と言われていたのを思い出し、今はそのための準備をしている。
春海と夏海はゆっくりだが確実に柔軟な人間になってきているようで、小手先の言い訳や嘘で客をあしらうような営業をしなくなった。 茉莉に対しての、敦司のお気に入り、というやっかみも敦司がノアールを出したあたりから、徐々に消えてきているようだ。最近は同席も楽しめるようになってきたほどだ。
望は精神状態とホスト絡みの事件という情状酌量を得て、どうやら実刑判決を免れるようだった。精神鑑定の結果も無罪とまではいかないようだが、おそらくは執行猶予付きで入院生活にはいるのであろう。
眠らない街、歌舞伎町。
一晩で数百万、いや、数千万の金が一人の女から、ホストへと流れてゆく街。
富を手にし、笑う者は一握りで、ナンバーという前線に残れず、去る者がいる。そして沢山の女たちの涙。
次々と現れる店にも人知れずネオンサインを消して去る店がある。
悲しい事の方が多いような気がするのに、それでも人々は毎夜栄華を演出し、この街に酔いしれる。
それがこの街で生きる唯一の方法である。そして多くは流される。だがその中で自分を見失わず歩けた者だけは、いつしか本当の幸せへと、辿り着けるのであろう。
幸せとはなにか。それは辿り着いた者だけが知り得る。
彼らもまた、いつしか辿り着く本当の幸せへ向かって、ただ今を生きるのみの、この街の住人なのである。
そしてこの街は彼らを、様々なものを、のみ込み、煌々と光を放ち続け、時に喜劇、そして悲劇を生み、栄え続ける。
TRESOR 終
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