第六章 〜接吻〜 |
「敦司さん、さっきのは、冗談キツイですよ。」
里菜の席を離れた後、エントランスで敦司と
擦
れ違った茉莉は、少しむっとした様子でこう、声をかけた。
敦司は冗談なんかじゃねーよ、と立ち止まりもせず、鼻で笑って通り過ぎようとした。
「どういう意味ですかっ、」
「どうせ店辞めるんだろ、だったらツバつけとかなきゃ、な」
思わず、茉莉は声を荒げて敦司の襟首に掴み掛かった、が、すぐに明らかな威圧感の前に気押されてしまった。身長差のせいだけではないだろう。
ガシャーン、と、上の方から大きな物音と続けて女同士の
諍
う声。
ここまで聞こえるという事は、相当の叫び声ということになる。いったい何があったのだろう。
「もっかい言ってみな!ソープだったらなんだってのよ!」
「だからあんたみたいなガバガバに敦司が本気なわけないって言ってんの!」
「あんたこそヘルスでどうせ裏本で何人も
咥
えこんでんでしょ!」
「本番なんてしてないからっ!あたしは敦司としかしないの!」
あー、と低く
呟
くと敦司は階段を駆け上がって行った。 争いの原因はどうやら敦司のようだった。声のする方向からすると、里菜のテーブルの近くだ、と、心配になって茉莉もすぐに後を追った。
コトの発端はわからないらしいが、里菜のすぐ目の前でそれは繰り広げられていた。
「ちょうどイイからここで決めてよ、敦司…」
「…敦司?」
縋
るような瞳で見つめる二人の女の一方を、敦司は無言で抱き締めた。もう一方の女は信じられないというような表情でただ、立ち尽くすばかりだった。 敦司はそのまま水槽から身を乗り出す程に女を
手摺
に押し付けると、フロア中が
固唾
をのむ
静寂
の中、唇を重ねた。
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「あ…」
里菜が、茉莉の顔を少し照れたように仰いだ。映画みたいだね、と。
長い、長い接吻。完全に、時が止まったようだった。
震えに我を取り戻した残された女が、敦司の
肘
を強く
掴
み、今成立したばかりの恋人同士を引き
剥
がす。
「さよならっ!」
グラスか何かで傷ついていたのか、指先を血で紅く染めた手が、敦司の頬を強くかすめた。 鞄を掴んで走り去る女のあとを、ヘルプが慌ただしく追って行く。それをよそに、この戦いの勝者は誇り高げに寄り添い、手にしていたハンカチで恋人の頬についた血を拭っていた…
「今夜のショータイムは、お気に召していただけました?」
相変わらず悪びれず、フロア中に聞こえるように笑いながら言い、さらに、
「パフォーマンスです、ほんの軽い、ね?」
敦司はフォロー行って来るね
望
、と勝者望に軽く口づけて階下のメインフロアへと向かった。
耳に、やっと店内のBGMが流れ込んでくるのが分かって、茉莉は平常心を少し、取り戻すことができた。
しかし客の
殆
どは、そうではないようだった。浮き足立つのは、当たり前である。目の前であんなものを見せつけられたら善くも悪くも、心が騒がない女などはいないだろう。
この日、営業中から既に例のサイトが敦司の話題でもちきりになっていたようだ。 完全にドラマに酔ってピンクが2本入った会計を支払い、里菜がご機嫌で帰って行った後、茉莉はどうしてもサイトのことが気になって仕方がなかった。
--しかし相変わらずやることが派手だよね、あの店のヒトは。
--特に敦司は凄いヨ
--店内でバトっちゃう客も客だと思われ
--何があったんですか?
--全部最初から読みなよ
--ソープとヘルスの色カノバトル
--なんか凄いですね…行った事ないから行ってみたい
--敦司最高あげ
--爆弾サイトは最低
--やり合う時点で色確実
--望は本だよ
--私が本カノですがなにか?
…敦司さんは、こういうの気にしなさそうだもんな、と
望
を助手席に乗せた敦司の車を見送りながら、茉莉は深い溜め息をついた。
辞めるとか辞めないとか、そういう雰囲気の日ではないな、と、茉莉は自分の中の答えを、保留して帰路につくと、着替えをする気力もなくベッドに倒れこんだ。
第七章へ続く
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