第九章 『一周年』U |
茉莉は六本木ヒルズに来ていた。
待ち合わせの時間より、10分程早い到着だ。
敦司と「今日の」恋人が待つ、バカラへと向かった。
バカラは、ヒルズ敷地内にあるバーである。クリスタルのグラスやオブジェ、アクセサリーなどで知られるあのバカラの、バーである。隣接してそれらを販売するショップもある。
敦司と「その日の」恋人に連れられて初めて訪れたのは2週間程前だったか。ヒルズの中でもひときわ高級感があり、敷き居の高い印象を受けた。
「…えっと…」
広い敷地内で、茉莉は迷っていた。
一度目は敦司に連れられてだったので、どこをどう歩くと辿り着けるのかを、あまりよく憶えていないのだ。
20時になってしまいそうだったので、茉莉は敦司に電話をかけた。
「あ、茉莉です。今、ヒルズなんですけど、迷っちゃったみたいで…あっ、はい、えと、ス…サ…サマンサなんとかって女の子のバック売ってる前にいるんですけど…サマンサタバサ、そう、それです…」
しどろもどろで現在地を説明する茉莉。どうやら敦司が迎えにくるようだ。 「…はい、はい、じゃあここで待ってます。じゃ。」
ふう、と
安堵
の息をつき、携帯を静かにたたんだ。
ほどなくして、敦司がやってきたが、近くに来るまでわからなかった。
「…!…敦司さん、凄い変わりましたね」
敦司のトレードマークでもあった金髪が、真っ黒なのである。
「ああ、これも似合うだろ」
敦司とは、仕事では一年の付き合いになるが、それ以前も一年程の付き合いがあった。車を売っていた時の、茉莉の上顧客だったのだ。
敦司をホストだと知る前は、不規則な来店時間とその金髪がチャラチャラして見えて、どこかの社長のすねかじり息子か何かだと思っていた。それくらい初対面の頃の印象からずっと金髪なのだ。
茉莉の知る限りでは、黒髪どころか茶色にさえしたことがない。
そんな敦司の変貌ぶりに、興味が湧いた。
「どういう心境の変化ですか?」
「あとで話すよ」
かくしゃくとしないまま、バカラへと、無言で歩いた。
暗く落ち着いた店内で、女が待っていた。
「紹介する。これがウチのアイドル、茉莉。で、琴璃。」
敦司は元いた席につきながら、茉莉と琴璃を交互に指し、初対面の二人にそれぞれを紹介した。
「はじめまして、椿 茉莉といいます」
「
御園 琴璃
です。」
軽く目で会釈をしあい、茉莉は敦司の隣に腰をかけた。
琴璃、と名乗った女はおそらく水商売の女だろうと、茉莉は思った。 白く、端正な小顔、華やかにセットされたアップスタイルで際立つ細い首筋。淡いエメラルドグリーンの軽やかなロングのワンピースは、小柄で華奢な彼女ををより儚げに演出していた。 初めてみる女だったが、敦司とはそれなりに長そうにみえる。ふとした自然なやりとりが、深い関係を物語っていた。
「フォアロゼ、プラチナ。ダブル。」
敦司がバーテンダーに声をかけた。
「ロックでよろしいですか?」
そう尋ねられ、敦司は頬で人差し指を立てて、眉を上げてみせた。
「かしこまりました。お連れ様はいかがなさいます?」
いきなり注文を促され、茉莉は焦って、
「あっ、じゃあ、同じ物を!」
少し声が大きかったようだ。他の客が一瞬茉莉の方を振り返った。琴璃が、くすっ、と微笑った。
指先で返事をするような落ち着いた立ち居振る舞いをする敦司と自分とを、比較をされたようで茉莉は少し嫌な気がした。
注文した酒の注がれたグラスを左手で持ち、敦司がゆっくりと語り出した。
「お前の一周年をな、節目に考えていたんだが…」
氷がグラスの中で揺れる度にチリン、とバカラグラス独特の鈴のような音をたてる。 グラスの重さと唇に触る感触が心地よい。
「店を、やろうかと思っているんだ。」
敦司の告白に、茉莉は耳を疑った。が、有り得ない話ではないと、すぐに思い直した。 「凄いじゃないですか、いつ頃出すんですか?」
「まあ、まだ半年は先の話だがな。」
琴璃は、静かに聞いていた。
「それでな、お前、二周年は、俺の店でやらないか?」
茉莉は、今度こそ本当に耳を疑った。
「それって、二人でトレゾア抜けるって事ですか!?無理ですよ!」 「いや、お前は暫く残れ。いくらなんでもいっぺんには無理だからな。」
敦司は淡々と話し続ける。
「クルマ屋でお前に会って、こいつなら俺の片腕になるって思ったんだ。一周年イベントで、お前は不動の地位に登り詰めるんだ。俺は確信してる。」
「買い被り過ぎです、そんな…」
「今から行く店のNo.1もな、おまえを高く評価してる。」
敦司と琴璃と待ち合わせをしたのは、別にこういう話をするためではなかった。
茉莉のイベントのために、他のホストクラブへ挨拶に飲みに行くのである。同業回り、というものだ。
バースデーの時もそうだったが、売り上げのレベルの割に経験が浅く、人脈の少ない茉莉は、敦司とその客に同行するというカタチで同業を回る事が多い。
さらにアイドル営業がウリになってきてからは、外で客と会う事が少なくなり、同業回りに同伴するような客もいないに等しいのだ。
とりわけ金銭的な問題はないのだが、仮に自分が支払うから、などと言って誰かを連れて行くような事をすれば、途端に、意外と客少ないのかも、などというおかしな噂になりかねない。
結局、金が絡むと出そうが出させようが、どのみち痛くもない腹を探られる。アイドルは、身動きが取り辛いのが欠点だ。
心地よい酔いで緊張も薄れ、次第に琴璃も交えての他愛無い話題になっていった。琴璃が軽く身支度をし始めて気付くと、時計が21時半に近付いていた。
敦司が、出ようか、と茉莉を促した。
9時40分からの、映画を観るらしい。
当たり前の様に琴璃が支払いを済ませ、三人は映画館を目指した。
第九章 Vへ続く
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